〈連想第85回〉
ショパンについてこれまで、「ワルツ」「エチュード」「プレリュード」「バラード」と取り上げてきましたが、今回から2回に分けて「マズルカ」を取り上げます。
前回、「マズルカはショパンの作品にとって最重要と言っても過言ではない」、と書きましたが、「マズルカ」はショパン自身にとってとても大切なものでした。
「マズルカ」は、ショパンの全作品中59曲(全作品の数え方には諸説あり約230~250曲)と、最も積極的に取り上げていたジャンルで、ショパンの死の間際に気力・体力がほぼない状態で最期に書いたものも「マズルカ」でした。
「マズルカ」とは、ポーランドの民族舞踊で、「マズル」「オベレク」「クヤヴィヤク」ほか、発祥地域やリズム・テンポなどによって異なる様々な音楽様式の総称です。
いずれも三拍子ですが、ワルツと異なりアクセントが二拍目であることが特徴です。
「マズル」はオーソドックスなテンポ、「オベレク」は早いテンポでごきげんな感じ、「クヤヴィヤク」は遅いテンポで物憂げな感じ、これらを統合してショパンオリジナルのマズルカを作り上げました。
作曲数からもわかるとおりショパンにとって最も身近で思い入れのあったもので、曲調も内省的なものがほとんどでした。
常に祖国ポーランドへの思いを強くいだき続けていたショパンにとってマズルカは、人に聴かせることよりも、自分自身のために書いていた側面が強かったようです。
曲はどれも短く、土着的な感覚と非常に洗練された感覚が混じり合った、とても不思議な感覚なものがほとんどで、その内省的な神々しさを感じる美しさは、ショパンのほかの作品の中でも随一です。
ショパンのマズルカ全体を通してクヤヴィヤク調の憂いを帯びたゆっくりとしたテンポのものが多いですが、一説には、ショパンの母親がクヤヴィヤクの発祥地である「クヤーヴィ地方」の出身で、幼少期に子守歌でネイティブ・クヤヴィヤクを聴きながら育ったから、とも言われています。
作品が晩年に近づくにつれて、死の匂いを感じる、現世離れした雰囲気が漂うものも多くなり、ショパンのほかのジャンルのものと比べても、とても特殊な位置づけのものになります。
今回は、前半として、ポーランドにいた時代からパリで華やかに活躍した時期までの作品から6選します。
1 マズルカ第5番 変ロ長調 作品7-1
パリに来て最初は不遇の時を過ごしていたショパンが、注目され、称賛されるきっかけとなった曲です。
マズルカの中でも知名度が高く演奏機会も多いオベレク調の曲で、明るく躍動的な曲調がいかにも「ポーランドの民族舞踊」という趣があります。
演奏は、第1回ショパンコンクールでマズルカ賞を受賞した、マズルカ弾きの第一人者であるポーランドの「ヘンリク・シュトンプカ」です。
2 マズルカ第13番 イ短調 作品17-4
マズルカの中でも1、2を争う知名度の高い曲で、作曲技法の面でも非常に独創的・革新的な曲です。
名曲として名高いこのクヤヴィヤク調の憂いを帯びた曲調は、この時代にはなかった響きで、とても現代的な香りがします。
虚無的な空間を漂うような不思議な感覚にとらわれる名曲です。
演奏は、ドビュッシーにも絶賛された20世紀を代表する女流ピアニスト、ブラジルの「ギオマール・ノヴァエス」です。
3 マズルカ第17番 変ロ短調 作品24-4
心の奥底をえぐられるような切なく憂いのある旋律が印象深い曲です。
評論家筋では、この曲がショパンの最高傑作だという向きもあるほど著名な曲で、それもうなずけるほど心に迫りくるものがあります。
マズルカには死の香りを感じるような、聴いていてちょっと怖くなる曲がいくつもありますが、この曲もそんな曲の1つです。
演奏は、クリアで清らかな音が特徴の「辻井伸行」さんが17歳のときに参加した、2005年のショパンコンクールでの素晴らしい演奏です。
4 マズルカ第19番 ロ短調 作品30-2
マズルカの民族的要素が強い曲で、憂いを帯びた旋律は、遠い幼少時代のノスタルジーを思い起こさせます。
この曲で印象的な箇所は、0:35~0:55の間、同じメロディーが8度繰り返しながら、伴奏のコードが変わることで恍惚的な響きを表現している箇所です。
演奏は、第6回1960年ショパンコンクールで審査員万丈一致で1位だった、イタリアの「マウリツィオ・ポリーニ」です。
淡々とした演奏が美しさを引き立てます。
5 マズルカ第23番 ニ長調 作品33-2
オベレク調の明るくごきげんな曲。
ポーランドの人々が民族衣装を身にまとって大勢で踊る様子が浮かびます。
軽やかで楽しげな曲調の中に、メランコリックな雰囲気も同居しています。
演奏は、第7回1965年ショパンコンクール1位だった、言わずとしれた今世紀を代表する女流ピアニスト、アルゼンチン出身の「マルタ・アルゲリッチ」です。
6 マズルカ第28番 ロ長調 作品41-3
とても不思議な、印象的な曲です。
最初のメロディー「ダラッター、ダラッター、ダラッター、ダラッター」のあとに来る軽やかな短いパッセージ、のセットがひたすら繰り返されます。
最初のメロディーはずっと変わらず、ワルツ調のメロディーは都度転調します。
間奏を挟んでさらにワルツ調のメロディーが転調して繰り返されて終わります。
ショパンの曲の中でも最も異質な変わった曲な印象ですが、クセになるというか、何度も繰り返しずっと聴いていたくなる不思議な魔力を持った曲です。
この曲はジョルジュ・サンドとのマヨルカ島療養旅行中に作られた曲とのことですが、明るめの曲調なのになぜか強烈に死の香りというか霊界的な感覚を感じる曲でもある、本当に摩訶不思議な曲です。
転調を繰り返すワルツ調の箇所は、何とも言えない恍惚的な、トリップ的な、非現世的なものを感じ、心がざわつきます。
とても美しいけどちょっと怖い感じがする、そんな印象です。
演奏は、ヴィルヘルム・ケンプの弟子としても知られるトルコの「イディル・ビレット」です。
今回は、ショパンの作品群の中でも、ひときわ特殊な存在であり、ショパンが最も大切にした「マズルカ」の前期のものを取り上げました。
次回は、最晩年にかけて作曲し続けた、現世離れした美しさに磨きがかかっていく後期のものを取り上げます。