リヒャルト・シュトラウス 5選

クラシック
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〈連想第96回〉

前回は、ワーグナー→ブルックナー→マーラーの終着点的な作曲家としてシベリウスを取り上げました。

今回は、最もダイレクトにワーグナーの影響を受けたとも言える、ドイツの「リヒャルト・シュトラウス」を取り上げます。

この「リヒャルト・シュトラウス」は、4歳年上のマーラーや1歳年下のシベリウスと完全に同時期に活躍しましたが、最も息長く活動しました。

指揮者としても高名で、ワーグナーの回で何度も登場したあの「ハンス・フォン・ビューロー(何かとキモになる人物です)」の弟子で、師の跡を継いで指揮者としての道を歩み、そして自身の弟子には何と、レジェンドの「カール・ベーム」や「ジョージ・セル」がいたなど、交友のあったマーラーと並び、偉大な指揮者の系譜にも連なっている人物でした。

「リヒャルト・シュトラウス」は元々古典に造詣が深く、特にモーツァルトを崇拝していましたが、「ハンス・フォン・ビューロー」の楽団のコンサートマスターを務めていた「アレクサンダー・リッター」というワーグナーの崇拝者(妻はワーグナーの姪)との出会いを経て、ワーグナーの影響下にどっぷり入り、自身のスタイルもワーグナー化しました。

ワーグナーを思わせる重層な管編成で、作曲活動における初期の頃はリストが創始した「交響詩」を、中期の頃はワーグナーが創始した「楽劇」を精力的に作曲しました。

元々古典的な素養が強かったリヒャルト・シュトラウスですが、20世紀に入って手掛けた楽劇などを中心に前衛的要素が強くなり、ワーグナーを飛び越えて、ブルックナー、マーラー、シベリウスなどと比べても、断然前衛的でわかりづらい音楽になった時期がありました。

しかし、1910年に手掛け大ヒットした懐古主義的な楽劇「ばらの騎士」を契機に、再びロマン派、古典派系のわかりづらくない音楽へと戻っていきました。

第一次世界大戦後からめっきり作曲数が減ったラヴェル、1920年代半ばから主だった作曲を行わずに隠居生活に入ったシベリウス、新天地アメリカに渡るも往年の活躍は果たせなかったストラヴィンスキーら、少し前までは時代の最先端だった作曲家達は、共通する迷いのようなものがあったのではなかったかと推察されます。

前衛音楽は新しい時代のメインストリームの音楽とはなり得ず、時代の最先端はジャズとなっていったのでした。

今回はそんな時代に生きた、クラシック音楽の歴史の最後の番人的存在「リヒャルト・シュトラウス」から5選します。

1 楽劇「ばらの騎士」組曲(1910)

先にも触れた、楽劇「ばらの騎士」を組曲版として再編成したものです。

この楽劇は、評論家筋から「懐古主義的」と揶揄されたように目新しさはない内容でしたが、そもそもリヒャルト・シュトラウスはそれまでのシリアスで前衛的な路線から変更し、崇拝するモーツァルトの歌劇のようなコミカルな喜劇を目指して作ったものでした。

そして音楽は、聴いていただければ一目(聴?)瞭然、ワーグナーとヨハン・シュトラウスを足して2で割らなかったような、壮麗で陶酔的で華やかで欧州文化の絶頂を凝縮したような曲調です。

ちなみにヨハン・シュトラウス一族とリヒャルト・シュトラウスは血縁関係は全くない完全な他人です。

冒頭からラストまで、重厚な管編成や連続する半音階進行などワーグナー節全開で、「ワーグナー版ウィンナワルツ」といった趣きがあり、最高にテンションが上がります。

この曲は第一次世界大戦前夜の1911年に公開され、空前の大ヒットとなりました。

冒頭とラスト23:00~の華々しさは、まるで過ぎ去りつつある貴族文化が走馬灯のように駆け巡る大円団のようです。

そして、バトンタッチするかのように次なる文化の発祥地はアメリカ、NY、ハリウッド、ジャズとなっていきます。

演奏は、ドイツ人(現ポーランド出身)「クリストフ・エッシェンバッハ」指揮、「ヒューストン交響楽団」です。

2 アルプス交響曲(1915)

リヒャルト・シュトラウスが遺した4つの交響曲のうちの最後の曲で、単一楽章ながら50分ほどあります。

自身が少年時代にアルプスを登山した体験を元に、「夜」「日の出」「登り道」など順にテーマが設定され、登山を追体験していくような構成となっています。

ワーグナー→リヒャルト・シュトラウスの集大成、真骨頂とも言えるような、壮麗で荘厳、華々しく陶酔的で美しい響きの連続で圧巻です。

演奏は、オーストリア出身の帝王「ヘルベルト・フォン・カラヤン」指揮、「ベルリンフィルハーモニー管弦楽団」です。

3 交響詩「ティル・オイゲンシュピーゲルの愉快ないたずら(1895)

14世紀のドイツに実在した奇人のエピソードをもとに、15世紀に出版された民話を交響詩として表現したものです。

コミカルなワーグナーという感じで、「ポール・デュカス」などにも通じるファンタジックな雰囲気もあります。

「どこかで聴いたことがある」類のメロディーで、楽しげで軽やかな曲調ながら重厚感ある管編成で盛り立てます。

演奏は、愛弟子でレジェンドの「カール・ベーム」指揮、「シュターツカペレ・ドレスデン」です。

4 4つの最後の歌(1948)

リヒャルト・シュトラウス死の前年に作られた4曲からなるソプラノ歌曲です。

実は5曲目も構想していたため、未完成の曲とも言えます。

「ヘルマン・ヘッセ」の詩に基づいている歌詞は全て死に関する内容で、自身の死を感じながら作曲したであろうことがうかがえます。

静かで優しく厳かな雰囲気が漂う、胸に迫る美しい歌曲です。

演奏は、こちらも「カール・ベーム」指揮、「シュターツカペレ・ドレスデン」、ソプラノはブルガリア出身の「アンナ・トモワ・シントウ」です。

第1曲:春 0:00~

第2曲:九月 5:10~

第3曲:眠りにつくとき 8:30~

第4曲:夕映えの中で 13:00~

5 交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」(1896)

リヒャルト・シュトラウスの代表曲、最も有名な曲と言えばこの曲になるでしょう。

イギリスの「スタンリー・キューブリック」の代表作である映画「2001年宇宙の旅」のテーマ曲的に使われ、映画共々この曲がよく知られるところとなりました。

原題の「ツァラトゥストラはかく語りき」は、これまた超著名な古典的定番書籍である、ドイツの「フリードリヒ・ニーチェ」の大作のタイトルです。

「神は死んだ」と言う言葉で有名なニーチェのこの作品は、「山奥に住む賢人が下界に降りてきて、人間たちに「超人」になるすべを伝える」という一見とらえどころのない物語で、リヒャルト・シュトラウスはそれを「交響詩」として表現しました。

誰もがどこかで聴いたことがあるであろう冒頭の壮大なテーマは、様々な場面やコンテンツで使用されていて、いずれも「これから何かが始まる」というワクワク感を感じさせます。

ニーチェとリヒャルト・シュトラウスというドイツを代表する巨頭による、ドイツを代表する芸術です。

ところでこの曲は、クラシック音楽とは全く無関係な、とある曲と接点があります。

それは、NY・ブルックリンのヒップホップ、「DJプレミア」プロデュースの曲、「ビッグ・シュグ」の「クラッシュ」という曲です。

どういう接点かと言うと、ズバリこの曲の16:51~の箇所をサンプリングしているという接点です。

ドイツの高尚な芸術作品が、その一部を切り取りサンプリングしてループさせることで、ブルックリンのディープでドープなアンダーグラウンドヒップホップとして生まれ変ったのです。

まさか自分の曲がこんなアンダーグラウンドなブラックミュージックになるとはリヒャルト・シュトラウスも夢にも思わなかったことでしょう。

しかしこの曲、めちゃめちゃかっこいいんです。

音楽というのは、やはり作り手の心、解釈と表現力次第でいかようにもなるものだなとまざまざと感じさせられます。

それでは、ハンガリー出身のユダヤ系指揮者「サー・ゲオルグ・ショルティ」指揮、「シカゴ交響楽団」の演奏に続き、「DJプレミア」プロデュースの「ビッグ・シュグ」1996年のシングル曲「クラッシュ」を聴いてみてください。

今回は、クラシック音楽史の最後の砦的存在、リヒャルト・シュトラウスを取り上げました。

モーツァルトなどの古典や、壮麗なワーグナーの影響を強く受けながらも、無調性に近い前衛音楽にも取り組み、その後は新古典主義的な音楽にシフトした、様々な顔を持つ、ドイツの、ヨーロッパの最後の重鎮でした。

さて次回は、このクラシック史のレジェンドと時空を超えて接点を持ったヒップホップのレジェンド、「DJプレミア」を取り上げたいと思います。

時・場所・ジャンル・人種・文化、色々なものを超越したこの繋がりが、とてつもなく音楽の魅力を物語っているように感じます。

ヒップホップ史上において一時代を築き、不世出で唯一無二の存在として今なお活動を続けるレジェンド、DJプレミアがプロデュースした神曲の数々を、複数回に分けて取り上げていこうと思います。