クロード・ドビュッシー④〈ショパン関連曲〉5選

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クラシックピアノ

〈連想第64回〉

ドビュッシーは、元々ピアニストを目指していて、ショパンの弟子の一人だった「モーテ夫人」に師事し、様々なコンクールを受けていたことは前回も触れました。

しかし、コンクールでは毎度いいところまでいくのですが、ついに一位を獲ることができず、ピアニストの道を断念します。

そこから作曲家の道を歩むことになるのですが、作曲家人生を通してピアノの曲が多く、特に前期はピアノ曲が大半を締めています。

その際、同じパリで活躍したショパンからの影響はとても大きいものがあり、随所随所で、そのタッチや和音などショパンの響きを感じます。

前期は、マズルカ、バラード、ノクターン、舟唄など、ショパンが主に作曲したものをタイトルにつけた曲を作り、後期から晩年にかけては、12のエチュード(練習曲)や24のプレリュード(前奏曲)など、ショパンが作った金字塔的作品と同じ題材のものを作るなど、ピアニストとしての感覚、ピアニストとしてのショパンへの敬意を感じます。

今回はそんな曲の中から5選します。

1 12の練習曲(1915)

ショパンへの敬意を示したドビュッシー最晩年のピアノ曲。

ドビュッシーはこの曲について正式に「ショパンの追憶に」献呈するとしています。

ショパンは12の練習曲×2+3曲の合計27曲の練習曲を作りました。

ショパンが作品10で12曲、作品25で12曲、それぞれで24の調性で緻密に構成したのに対し、ドビュッシーは調性にはこだわりませんでした。

調性の考え方はショパンの時代と大きく変わっていたのです。

ただし、ショパンの練習曲と同じく、明確に「何のための練習か」というのが示され、超絶技巧が求められていると同時に、非常に芸術性の高い作品として素晴らしいものになっていることは共通しています。

演奏は、近代的な響きが臨場感をもって感じられる晩年のギーゼキングです。

2 前奏曲集 第1巻(1910)

ショパンは終生尊敬していたバッハの「平均律クラヴィーア」にならい、「24の前奏曲」を作りました。

これは、エチュードと同じく、一つ一つ曲ごとに調性を割り当てたものですが、ドビュッシーは自身のエチュードと同様に、調性にはこだわりませんでした。

ドビュッシーの前奏曲は第1巻と第2巻に分けられ、それぞれ12曲づつあり、全てピアノ曲です。

それぞれの曲にタイトルや特色があり、とても美しい曲が並ぶ小作品集的な趣も感じられます。

ドビュッシーの曲で、「月の光」や「アラベスク」と並ぶ超有名曲「亜麻色の髪の乙女」も含まれています。

「亜麻色の髪の乙女」は、1882年に元々歌曲として作られ、それをピアノ用に編曲しなおしたもののようです。

ちなみに「島谷ひとみ」の2002年の大ヒット曲「亜麻色の髪の乙女」は、元々1968年の「ヴィレッジ・シンガーズ」のヒット曲のカバーで、作曲は「すぎやまこういち」であることはよく知られていますが、曲自体はドビュッシーとは全く関係のない別の曲です。

しかし、この曲のタイトルがドビュッシーのこの曲が元であることは確実で、何かしらの関連性はあったのだと思います。

ここではまず第1巻をリンクしますが、有名な「亜麻色の髪の乙女」だけ個別に別リンクします。

珍しいチェロ5重奏バージョンです。

全曲ピアノ演奏は、繊細なタッチがドビュッシーらしいスペインの「ハヴィエル・ペリアネス」です。

全曲名は↓のとおりです。

第1曲 デルフィの舞姫
第2曲 ヴェール(帆)
第3曲 野を渡る風 
第4曲 夕べの大気に漂う音と香り
第5曲 アナカプリの丘
第6曲 雪の上の足跡
第7曲 西風の見たもの
第8曲 亜麻色の髪の乙女
第9曲 とだえたセレナード 
第10曲 沈める寺
第11曲 パックの踊り
第12曲 ミンストレル

3 前奏曲集 第2巻(1913)

前奏曲の第2巻です。

第1巻の少作品集的な趣きとはまた異なり、ストラヴィンスキーとの出会いによってもたらされた、さらに革新的で近代的、前衛的な雰囲気が漂う作品集となっています。

演奏は、1975年ショパンコンクールの覇者、ポーランドの「クリスティアン・ツィメルマン」です。

全曲名は↓のとおりです。

第1曲 霧
第2曲 枯葉
第3曲 ヴィーノの門
第4曲 妖精たちはあでやかな踊り子
第5曲 ヒースの荒野
第6曲 風変わりなラヴィーヌ将軍
第7曲 月の光が降り注ぐテラス
第8曲 水の精
第9曲 ピクウィック殿をたたえて
第10曲 カノープ
第11曲 交代する三度
第12曲 花火

4 マズルカ(1890)

マズルカは、ポーランドの民族音楽で、ポーランド人であるショパンが最も大切にしていたジャンルです。

ポーランド人ではない作曲家がマズルカを作曲する時、そこには当然にショパンへの思いがあってのことであったかと思われます。

聴いていると、ドビュッシーとショパンがミックスされたような曲で、とても面白いし美しい曲で心が揺さぶられます。

この時期のドビュッシーは、マズルカのほか、ノクターン、舟歌、バラードなどショパン作品と同じタイトル曲のものを複数書いています。

演奏は、ドビュッシー初期の作品の演奏が本当に素晴らしい、透明感と深みのある「フランソワ=ジョエル・ティオリエ」です。

5 チェロソナタ(1915)

6つのソナタとして構想されたもののうち完成した1つ。

「ヴァイオリンソナタ」「フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ」と並ぶ、ドビュッシー最晩年の曲。

この曲は曲想や作曲の動機においてショパンと関連があったかどうかはわかりませんが、共に最晩年に「チェロソナタ」を作曲したということは共通しています。

どちらも演奏がとても難しく、演奏される機会もあまり多くないものの、完成度のすごく高い名曲であることも共通しています。

演奏は、チェロが旧ソ連(現アゼルバイジャン)出身の大巨匠「ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ」、ピアノは、作曲家として有名なあの「ベンジャミン・ブリテン」です。

3回に渡って取り上げてきたドビュッシーですが、やはり単に「印象派」というだけでなく、音楽史の楔となるとても影響力の大きい存在だったんだな、とあらためて認識させられます。

次回以降、今回取り上げたショパン関連作品の大元であるショパン自身の作品を取り上げようと思っていました。

しかし、この記事を書いている最中に「すぎやまこういち氏文化功労者に」のニュースが飛び込んできました。おめでとうございます!

これまで、ガーシュイン、ラヴェル、ドビュッシーと、すぎやまこういち先生との関連を続けて書いてきて、今回もちょうど「亜麻色の髪の乙女」という関連性があったところでしたので、ここは、ショパンにいく前に、ドビュッシーからの影響を公言しているすぎやまこういち先生を先に取り上げようと思います。