リヒャルト・ワーグナー〈前編〉5選

クラシック
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〈連想第90回〉

前回取り上げたリストとドイツ・ザクセン王国出身のワーグナーはあらゆる面でとても結びつきが深い関係でした。

リストの2歳年下のワーグナーは、共に音楽界で大きな影響力を持つ存在であっただけでなく、当時、「標題音楽VS絶対音楽」=「ワーグナー派VSブラームス派」という対立構図があった中で、リストはワーグナー派についた盟友的存在でした。

また、リストがダグー夫人と不倫の末に未婚でもうけた3人の子供のうちの1人「コジマ」は、ワーグナーとW不倫の末に結婚したため、リストはワーグナーの義父という間柄ともなりました。

そんなワーグナーですが、そのイメージは、リスト以上、いや、クラシック史上最もと言ってもいいくらい「破天荒」というものではないでしょうか。

1 尋常じゃない浪費癖があり、常に借金取りに追われていて、時には踏み倒してパリへ逃亡するなど、生活は困窮していました。

2 不倫は今と変わらず当時も珍しいものではありませんでしたが、ワーグナーの場合は複数回している上に、最後の相手の「コジマ」は「リスト」の娘であり、かつ、当時音楽界で高名で、同業者として近しい存在だった指揮者「ハンス・フォン・ビューロー」の妻であっただけでなく、お互い離婚しないまま3人の子を設けるなど、筋が良くありませんでした。「ハンス・フォン・ビューロー」はこのことがあった後「ブラームス派」に転向しました。

3 狂王と呼ばれ、原因不明に早死したバイエルン国王「ルートヴィヒ2世」は、あのディズニーランドのシンデレラ城の元となったことで有名な「ノイシュヴァンシュタイン城」を作った王様です。芸術を好みたくさんお城を買ったり建てたりしたことから「メルヘン王」とも呼ばれたルートヴィヒ2世は、幼少期よりワーグナーの音楽に心酔し、パトロンとして「バイロイト祝祭劇場」を建てたほか莫大な金額をワーグナーに捧げました。これらの散財は当時側近や国民達から大批判にさらされましたが、今日建物も音楽も人類の貴重な遺産になっています。

4 ロシアの「バクーニン」など正真正銘の筋金入りの革命家と交友を結び、マルクスとエンゲルスが「共産党宣言」を行い欧州各地で革命が吹き荒れた「1848年」に起こった「ドイツ3月革命」に関与し、翌年の「ドレスデン蜂起」では中心的存在として革命の主導的役割を担いましたが鎮圧され指名手配→リストを頼ってスイスへ逃亡しました。

この他にも様々なエピソードに事欠かない、人間的に一癖もニ癖もあったワーグナーですが、音楽史における功績・影響は計り知れないものがあります。

ワーグナーの前と後でクラシック音楽は一変しました。

総合芸術としての「楽劇」の創始、オーケストラの巨大化、「ライトモチーフ(=標題音楽)」・「無限旋律」・「トリスタン和音」や「半音階進行」などによるメロディー・和音・構成などの変革、その他様々な面においてそれまでのクラシック音楽を革新しました。

クラシック音楽にここまでの「陶酔感」をもたらしたものはそれまでにはなく、それがその後のクラシック音楽の一つの流れとなっていきました。

ワーグナーに心酔する「ワグネリアン」という人達が存在するほど、人々を深く魅了する「毒」を持っているという言われ方をよくします。「麻薬的」と言ってもいいでしょうか。

ワーグナー以降の作曲家たちは大なり小なりワーグナーの影響を受けており、意図的に脱却を図ったサティやドビュッシーらも、その影響があったからこそ脱却を図ったとも言えます。

ここで重要なのは、ワーグナーの音楽を特徴付けるものの一つである「半音階進行」や「無限旋律」が、とても近現代的な響きをもたらし、それまでの調性の整った音楽からの変化の過程へ進んでいくのですが、この「半音階進行」や「無限旋律」を表現したのはあのショパンであったいうことです。

3人は、ショパンが一番年上で、リストがその1歳下、ワーグナーがその2歳下と完全に同年代で、様々な場面で影響しあっていたであろうことが想像できます。(ちなみにこの3人全員と交流のあったシューマンはショパンと同い年です)

ワーグナーとショパンは人間的には180度真逆のタイプに感じますし、音楽もド派手で壮麗なワーグナーと、ピアノに特化した静かで優雅で内省的なショパンとでは一見真逆に感じます。

実際2人は同時代に同じ場所で活動していた時期もあったにも関わらず、交友はありませんでした。

しかし両者の音楽を聴いていると確かに共通点があるように感じるのです。

それは、繰り返しになりますが、「半音階進行」や「無限旋律」などそれまでにはなかった表現手法が積極的に用いられたという共通点があったからだと思います。

しかし一般的には「半音階進行」や「無限旋律」はワーグナーの特許というイメージです。

今回は、そんな背景のある、クラシック音楽史のちょうど中間地点に位置するワーグナーの曲から、まずは前編として5選します。

1 楽劇ニーベルングの指環:神々の黄昏より「ジークフリートラインの旅」(1876)

この曲は、ワーグナーの金字塔、真骨頂、到達点と言って間違いない、総合芸術の集大成である楽劇「ニーベルングの指環」から、ハイライト的に切り取られて演奏されることが多い、ワーグナーの音楽を凝縮したような神曲中の神曲です。

この「ニーベルングの指環」は、26年かけて作曲され、4幕から構成されており、演奏時間が15時間程度かかるという超壮大な楽劇で、4幕を4日に分けて演奏されます。

序夜:ラインの黄金

第1日:ワレキューレ

第2日:ジークフリート

第3日:神々の黄昏

今回取り上げる「ジークフリートラインの旅」は、「第3日:神々の黄昏」の開始20分前後からの20分程度の箇所を抜粋・歌を抜き管弦楽用に再構築したものです。

この壮大な楽劇は、ゲルマン神話などがもとになっており、曲だけでなく、シナリオ、脚本、舞台、衣装、小道具に至るまで全面的にワーグナーが手掛け、ルートヴィヒ2世の助力で建立された「バイロイト祝祭劇場」で上演されるという、ワーグナーにとっても人生の集大成的なものでした。

ちなみに「楽劇」とは、「歌劇」と呼ばれる「オペラ」がアリア(メロディー)中心のミュージカル的なものだとすると、「楽劇」は演劇と音楽を融合させたもので、シナリオ(神話などが中心)、セリフ、舞台装置、衣装、小道具など演劇に関する部分にも重きを置き、それをライトモチーフ(人物や状況を音楽で表現)などによって途切れることなく一体的に表現するもの、とでも言えるでしょうか。

明確な線引きはありませんが、歌劇に比べて「壮大なもの」という印象があります。

そんなワーグナーの楽劇の中でも集大成と言って間違いない「ニーベルングの指環」の、中でも1番のハイライト的な箇所がこの「ジークフリートラインの旅」なのですが、ここには本当にワーグナーの音楽が凝縮されています。

「壮麗」「重厚」「陶酔」「高揚」。「無限旋律」や「半音階進行」もたくさん出てきます。

ワーグナーによってオーケストラは格段に巨大化したのですが、この後のクラシック音楽においてどれだけオーケストラが巨大化してもワーグナー以上の壮麗さを持つ音楽は生まれませんでした。

神聖ローマ帝国時代から受け継がれる「ドイツ」民族というもののイメージを強烈に感じさせる音楽です。

この曲は、音楽を「聴く」と言うより「体感する」という感覚がしっくりくる、音響的な意味においても素晴らしい曲となっているので、ぜひ高音質・大音量で聴いていただきたいです。全身に鳥肌が立って身震いするような感覚になります。

演奏は、まず■ハンガリー出身の「ジョージ(ゲオルグ)・セル」指揮、クリーヴランド管弦楽団によるハイライト版、そして■「ニーベルングの指環」の全曲録音の金字塔、同じくハンガリー出身の「サー・ゲオルグ・ショルティ」指揮、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団の全編版、最後に■バイロイト音楽祭でのフランス出身「ピエール・ブーレーズ」指揮、バイロイト祝祭管弦楽団の全編版の3つをリンクします。

スタジオ録音でゆっくりしたテンポで重厚感のあるショルティ版は「19:58~38:44」の間、バイロイト音楽祭での演奏でとても早いテンポで疾走感と華々しさがあるブーレーズ版は「18:25~37:10」の間が「ジークフリートラインの旅」の箇所になります。

主人公の2人、ジークフリートとブリュンヒルデの素晴らしい掛け合いがカットされているハイライト版よりも全編版をぜひ聴いていただきたいです。

ワーグナーの音楽の素晴らしさがここに凝縮されていると言っても過言ではありません!

20分はちょっと長いな、と感じた方は最後の5分だけでもワーグナーの音楽が凝縮されていますので聴いてみてみてください。

〈セル〉

〈ショルティ〉19:58~38:44(32:49~38:44)

〈ブーレーズ〉18:25~37:10(33:00~37:10)

2 楽劇ニーベルングの指環:ワレキューレより「ワレキューレの騎行」(1852)

ワーグナーの曲で最も知名度が高く、「誰もがどこかで聴いたことがある」曲ではないでしょうか。

この曲は「ニーベルングの指環」の第1日「ワレキューレ」の中の第3幕の冒頭の場面の曲で、別名「死の騎行」とも言われます。

というのも、このワレキューレとは「戦場で死者と勝敗を決め、戦死者を天上へ運ぶ役割を持った女性の神々」のことで、この女神たちが空を駆け回り一同に会す、「ワレキューレの騎行」はそんな場面の音楽だからです。

演奏は、同じくショルティ指揮、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団ですが、映像は映画「地獄の黙示録」の1場面です。

「ワレキューレの騎行」は、この映画「地獄の黙示録」のワンシーン、米軍のヘリコプター騎兵隊がベトナムの小さな村を滅ぼしに行く場面で使われていることでもとても有名です。

この映画は、ベトナム戦争の狂気を描いた「フランシス・フォード・コッポラ」監督の1979年の映画ですが、この映画がまたすごい映画なのです。

イギリスの「ジョセフ・コンラッド」の小説「闇の奥」が原作となっており、「主人公マーロウが、19世紀末ベルギー国王の私有地だったコンゴのジャングルの奥地で正気を失い象牙を収奪して一大王国を築いている「クルツ」に会いに行くためにジャングルの奥深く入っていく…」というものをベトナム戦争に置き換えたもので、この映画について語りだすとそれだけでものすごく長くなってしまうのでまた別の機会にしたいと思いますが(この映画は音楽も素晴らしいので)、とにかくこの壮大なテーマの映画の象徴的なシーンにこの「死の騎行」が使われていて、強烈なインパクトを残しています。

ちなみに、映画「マトリックス」などでお馴染みの「ローレンス・フィッシュバーン」が少年兵役で俳優デビューしています。

3 楽劇トリスタンとイゾルデ:前奏曲と愛の死(1859)

全3幕からなる「楽劇」で、不協和音や半音階進行が多用されていることが当初から画期的で、ワーグナーを象徴する「トリスタン和音」と呼ばれることになる元となった作品です。

「トリスタンとイゾルデ」は、ケルト神話に基づいた悲哀の物語(不倫の物語)ですが、ワーグナー自身も、政治犯としてスイスに逃れた際に住まいまで提供してくれたこの頃のパトロン「オットー・ヴェーゼンドンク」の妻マティルデと裏切りのW不倫をし、自分たちのことをなぞるような作品ともなりました。

しかもこの作品の初演を指揮したのは、前述した「コジマ」の夫「ハンス・フォン・ビューロー」でした。

「愛の耽溺を表現したい」とリストへの手紙で語ったこの作品は、不協和音や半音階進行の多様によりそれまでの音楽になかった陶酔的な感覚をもたらし、その目的は達成されただけでなく、クラシック音楽を変革した金字塔的重要作品として、当初から現在に至るまで変わらぬ評価・位置づけの作品となりました。

まさに「耽美的」という表現がピッタリではないでしょうか。

一般的に管弦楽版としてよく演奏される「前奏曲と愛の死」をリンクします。

演奏は、同じく「ゲオルグ・ショルティ」指揮、「ウィーンフィルハーモニー管弦楽団」、1994年の来日公演です。

0:00~11:30が「前奏曲」、11:30~が「愛の死」です。

4 歌劇タンホイザー:序曲(1845)

「ワレキューレの騎行」や「ニュルンベルクのマイスタージンガー」が多くの人が「曲名は知らないけどどこかで聴いたことがある」曲ならば、この「タンホイザー序曲」はクラシックファンにとってはとても馴染みのある演奏機会の多い作品ではないでしょうか。

理由としては、演奏時間が15分程度と長すぎないことと、その時間内に静かで美しい箇所と盛り上がる箇所とメリハリが効いていて聴きやすく、初めから管弦楽のみの仕様になっていることなどが考えられます。

タンホイザーは、正式には「タンホイザーとヴァルトブルグの歌合戦」という全3幕からなる「歌劇」で、1845年の初稿から3度改訂し、4種類の版が存在します。

快楽に溺れた主人公が改心し赦しを得る、という物語で、「大行進曲」や「夕星の歌」は単独で演奏されることも多いです。

この序曲も、ワーグナーらしく威風堂々とした中に耽美的な美しさがあり、トリスタン以前の曲ですがやはり陶酔感・高揚感があります。

演奏は、こちらも「ゲオルグ・ショルティ」指揮、「シカゴ交響楽団」です。

5 歌劇タンホイザー:夕星の歌(1845)

タンホイザーの中から単独で演奏されることの多い曲です。

この曲は、第3幕で「快楽に溺れた主人公タンホイザーの妻エリーザベトが、主人公の罪を自分の死によって赦しを得ようとするのを、タンホイザーの親友ヴォルフラムが諌める」という場面で、ヴォルフラムが歌っているものです。

とても優しく美しい中に、やはり耽美的・陶酔的な響きを持つ曲です。

歌は、スウェーデンのバリトン歌手「ホーカン・ハーゲゴード」です。

また、この曲は前述の狂王ルートヴィヒ2世の生涯を描いた映画「ルートヴィヒ」でテーマ曲的に使われているのがとても印象的です。

この映画は、イタリアの巨匠「ルキノ・ヴィスコンティ」監督の後期の「ドイツ3部作」の1つで、ワーグナーやコジマ、ハンス・フォン・ビューローなども登場します。

「ドイツ3部作」は、ナチス関係の「地獄へ落ちた勇者たち」、この「ルートヴィヒ」、トーマス・マンの同名著作を映画化した「ベニスに死す」の3つで、いずれも毒々しく退廃的な欧州のデカダンスを描いた名画ですが、そんな世界観にこの曲がまたピッタリマッチしています。

そんな映画「ルートヴィヒ」の中から、病んだ「メルヘン王」ルートヴィヒ2世が、リンダーホフ城の「ヴィーナスの洞窟」を遊覧するシーンもリンクします。

今回はクラシック音楽史における巨人、ワーグナーを取り上げました。

ワーグナーの壮麗かつ陶酔的で毒気のある魅力が伝わったでしょうか。

次回はワーグナー〈後編〉と称して、5選します。