〈連想第57回〉
ガーシュインが教えを請うた3人のうちの1人、ロシアの「イゴール・ストラヴィンスキー」です。
前回取り上げた「ナディア・ブーランジェ」がストラヴィンスキーのことを熱狂的に支持していたなど、1910〜20年代は前衛音楽の旗頭として時代の寵児のような存在でした。
「リムスキー・コルサコフ」に師事し、生まれ故郷のサンクトペテルブルクで活動を始めましたが、その後、スイス→フランス→アメリカ・ハリウッドと移り住み、ロシアへは一度しか帰郷しませんでした。
後半生においては、「武満徹」を見出した存在としても知られています。
今回はそんなストラヴィンスキーの曲を4選します。
1 火の鳥(1910)
フィギュアスケートですっかりおなじみとなった「火の鳥」です。
この曲は元はバレエ曲なので、フィギュアスケートとは相性がピッタリです。
1910年ストラヴィンスキーが28歳の時の作品で、その後組曲として再構成されたものが一般的ですが、この組曲も、1911版、1918版、1945版と3つのバージョンがあります。
最もメジャーなのは1918版で、一般的に「火の鳥」と言えばこれを指すことが多いです。
今回はその1918版から、最もなじみのある、「魔王カスチェイの凶悪な踊り」「子守歌」「終曲」を、「小澤征爾」指揮、「ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団」による、1993年のピクニックコンサートのライブ映像をご紹介します。
やはり終曲のラストはいつ何度聴いても感動的です。
2 春の祭典(1913)
ストラヴィンスキー31歳の時に、これもバレエ音楽として書かれた作品です。
初演の際は、賛否両論で演奏中に怒号が飛び交い、場内は騒然となったという有名なエピソードがあります。
会場には、ドビュッシー、ラヴェル、サン・サーンスも列席していましたが、サン・サーンスは「否」の立場で、途中で帰ってしまったとの記録もあり、色々といわく付きだったようです。
2009年の映画「シャネル&ストラヴィンスキー」に、その時の様子が描かれています。
また、この曲はディズニーの音楽アニメ「ファンタジア」に使用されたことでも有名です。
この曲について深い考察を行っているフランスの現代音楽家兼指揮者の「ピエール・ブーレーズ」指揮、「クリーブランド管弦楽団」による演奏です。
3 交響曲 ハ調(1938)
ストラヴィンスキーにしては珍しく、ソナタ形式なども用いた伝統的な交響曲の形式によって構成された曲。
古典的な様式の中にもストラヴィンスキーらしさが随所に見られます。
演奏は、指揮「ヘルベルト・フォン・カラヤン」、「ベルリンフィルハーモニー管弦楽団」による、こちらもドイツ「グラモフォン」レーベルから1970年にリリースされたものです。
カラヤン=ベルリンフィルの組合せによる演奏は、ものすごく研ぎ澄まされ音の線が細く、洗練されていながらも華々しく荘厳、そんな印象を共通して感じますが、この演奏もまさにそんな印象です。
4 ロシア風スケルツォ(1945)
当初、ハリウッドで映画「北極星」のための音楽を依頼されて作曲したが、使われなかったため再編成して1944年にジャズバンド用として書かれたものを、さらに1945年にオーケストラ版として書かれました。
ジャズバンド向けに書いたということもあり、軽くメロディアスな小品で、前衛的な趣は全くありません。
こういう曲を聴くと、バッハ以降続いてきた、作曲の観点からの「クラシック音楽史」は終着点を過ぎたんだな、と感じます。
それは、文明発信の中心地がヨーロッパからアメリカへの完全に移行したこととイコールなのかもしれません。
演奏は、2021年に没した巨匠、オランダ出身の「ベルナルト・ハイティンク」指揮、「ベルリン・フィル・ハーモニー管弦楽団」です。
今回はガーシュインが教えを請い、ブーランジェが称賛した、20世紀初頭を代表するロシアの作曲家、ストラヴィンスキーを取り上げました。
次回は、ガーシュインが教えを請うた3人のうちの1人、ナディア・ブーランジェへの紹介状を書いたフランスの「モーリス・ラヴェル」を取り上げます。