〈連想第36回〉
前回はヒップホップ界におけるラガヒップホップの第一人者と言える「マッド・ライオン」を取り上げました。
今回は、本場ジャマイカのdeejay達によるラガヒップホップを取り上げます。
ちなみに、ヒップホップでは「歌い手=ラッパー」「レコードをかける人=DJ」ですが、レゲエでは「歌い手=ディージェイまたはシンガー」「レコードをかける人=セレクター」と呼びます。
1990年代初期〜中期は、ヒップホップとレゲエが急接近した時期でした。
元々ヒップホップとレゲエは兄弟みたいな関係で、常に近い存在でありながら、時に接近しコラボしたり、時に距離をとってお互いに独自路線を歩んだり、というのをずっと繰り返して今に至っています。
ちなみに兄弟の関係はレゲエが兄です。
というのも、元々ジャマイカでは、「ダンス」と呼ばれる野外音楽イベントが少なくとも1960年代には文化として根付いていました。
それは、大雑把に言うと↓のようなものです。
- 1 「サウンドシステム」と呼ばれる、どでかいスピーカーやアンプなどを屋外へ持ち運び電線などから電気を引っ張ってきてセレクターが爆音でレコードをかける。
- 2 「ダブ」「バージョン」などと呼ばれる、曲から声を抜いてエフェクトをかけたインストのレコードを作り(電気技師「キング・タビー」が創始。リミックスやカラオケバージョン、ハウスの起源)、「ダンス」でそれに乗せて様々な歌い手たちが入れ代わりマイクリレー(ラバダブ)する。
- 3 セレクターは曲をかけて少し経つとレコードの針を上げ(後にバックキューイングするようになる)、曲を最初まで戻して繰り返しかけ直して盛り上げる。
このジャマイカのレゲエのスタイルをNYのサウスブロンクスに持ち込んだのが、ジャマイカ移民の「DJクール・ハーク」でした。
「クール・ハーク」は1967年にジャマイカ・キングストンから、NY・サウスブロンクスに移住し、ヒップホップのDJとなりました。
サウスブロンクスはヒップホップ発祥の地です。
ヒップホップ黎明期の「クール・ハーク」は↓のようなスタイルでした。
- 1 ターンテーブル2台とスピーカーを近所の公園などに設置し、電線などから電気を引っ張ってきて、「ブロックパーティ」と呼ばれる音楽イベントをやっていた。
- 2 音楽イベントでDJがかける音楽に乗せて、歌い手が掛け声や合いの手を入れたりラップをしたりしていた。
- 3 DJ(クール・ハーク)は、ラッパーがラップをするために、ソウル、ファンク、ロックなどのかっこいい箇所(主にドラムだけの箇所)を2台のターンテーブルで同じレコード2枚を交互に巻き戻して繰り返しかける「2枚使い」をして盛り上げた。
このように、「クール・ハーク」がジャマイカの文化をアメリカ・NY流にアレンジしたとも言えるのがヒップホップでした。
もちろんその他にも色々な要因が複合的に積み上げられてヒップホップは生み出されたわけですが、根本的な下地としてあるのはジャマイカの「ダンス」の文化であるとは言えます。
ですので、ヒップホップとレゲエは兄弟みたいな関係ですが、レゲエがお兄さん的な存在になります。
ただ、さらに掘り下げるとレゲエの前身である「ロックステディ」はソウルやR&Bの影響を大きく受け、さらにその前身である「スカ」はジャズの影響を大きく受けているので、レゲエはソウル・ジャズの弟、若しくは息子的な存在とも言えます。
そんな繋がりの深いヒップホップとレゲエが、それぞれの道を歩んでいた中で、黎明期以降初めて急接近したのが90年代前半でした。
そこにはヒップホップ発祥の地サウスブロンクス出身の「KRSワン」の存在が大きく関わっていたほか、ブルックリンの「ジャマイカ」と呼ばれる地区「イースト・フラットブッシュ」や「クイーンズジャマイカ」など、NYの各地にそれを受け入れる様々な受け皿(ジャマイカ移民が多い土地柄)が整っていたことが要因として考えられますが、直接的にはジャマイカのエンペラー「シャバ・ランクス」のアメリカメジャーデビューが皮切りになったと言えると思います。
これによって「ダンスホールレゲエ」の認知度がジャマイカ→アメリカ全土→世界的と高まっていきました。
ビルボードで1位にもなったカナダの白人deejayスノーの「informer」(プロデュースはジュース・クルーのMCシャン)が流行ったのもこの時期でした。
今回はそんな背景のある90年代初期〜中期にかけてリリースされた、本場ジャマイカのダンスホールdeejayたちによるラガヒップホップを5選します。
1 Super Cat – Ghetto Red Hot(Hip Hop Remix)(1992)
まずはダンスホールdeejayのレジェンド「スーパーキャット」です。
「ショーン・ポール(レゲエ)」も多大な影響を受けたそのスタイルは、師匠筋の「アーリー・ビー」から受け継がれる正統派のジャマイカンラガマフィンです。
トラックは「ブランド・ヌビアン」「punks jump up to beat down」で有名な、定番ネタの「ルー・ドナルドソン」「it’s your thing」を使っています。
2 Cutty Ranks – Living Condition(Hip Hop Remix)(1992)
「スーパキャット」と双璧をなすレジェンド的存在、「カティ・ランクス」です。
こちらは「ジョジー・ウェールズ」の流れをくむdeejayですが、そのスタイルはマッチョで骨太、極度に抑揚のないフロウがくせになります。
この曲も男気、怪しさ満点でめちゃめちゃかっこいいです。
3 Burro Banton – Boom Wa Dis(Hip Hop Remix)(1993)
こちらも80年代から活動を続ける大御所deejay「ブロ・バンタン」です。
ダミ声が特徴のイカツイ系のスタイルですが、元々は極めて正統派なスタイルでした。
この曲は元は「ブロ・バンタン」の代表曲でたくさんのリミックスバージョンがありますが、この1993年のヒップホップバージョンはノリノリ&ゴリゴリでテンション上がります。
4 Buju Banton – Make My Day(Troopa’s Jeep Mix)(1993)
次も大御所deejay「ブジュ・バンタン」です。
大御所とは言っても、前3者と比べるとこの時はまだ若手で、ノリにノってるイケイケの時期でした。
元々はメロウでスムースな曲ですが、ヒップホップリミックスで、ノリノリな曲になってます。
5 Shabba Ranks ft. KRS-One – The Jam(1991)
ジャマイカ→アメリカの道筋を作ったパイオニア的存在の「シャバ・ランクス」が、ヒップホップ界におけるレゲエ系アーティストの拠り所的存在の「KRSワン」とコラボした曲。
ジャマイカで「エンペラー」となっていた「シャバ・ランクス」が、その勢いに乗り満を持してアメリカデビューした年にリリースされたシングル曲です。
ちなみに「シャバ・ランクス」と名付けたのは 師匠的存在の「ジョジー・ウェールズ」でした。
今回は本場ジャマイカのdeejay達によるラガヒップホップ〈ハードコア編〉と称して5選しました。
ヒップホップアーティストによるラガヒップホップとはまた違って、怪しい異国情緒みたいな雰囲気が漂い迫力がありますね。
レゲエの影響を強く受けたヒップホップアーティストは総じて「ドレッドヘア」ですが、ジャマイカのdeejay達は皆「角刈りor丸刈り」という逆転現象になっているのが面白いです。(その時々の流行りもありますが)
さて次回は、ラガヒップホップ〈メロウ編〉にいきたいと思います。
レゲエには色々な顔があります。
スムースでメロウなレゲエもまた心が熱くなりなます。
ヒップホップというよりはR&Bに近かったり、もしくは単にビートがヒップホップなだけのものもありますが、メロウでスムースなヒップホップ系のレゲエを取り上げます。