〈連想第42回〉
ダンスホールレゲエがまさに百花繚乱な状態になってきた80年代中期、「sleng teng」リディムによりデジタル時代の幕が開き、新旧のアーティストやスタイルやサウンドが混沌と入り混じるなか、deejayもシンガーも、「シングジェイ」スタイルが主流となり、その境目はあいまいになりました。
80年代後期以降は再びdeejayとシンガーがはっきり分かれていくようになっていきます。
そして2000年代後半以降は再び両者の境目はなくなっていきます。
今回はそんなレゲエが急速に発展、変化していく時代、80年代中期のシンガーを5選します。
1 Little John – She No Ready(1984)
ダンスホールシンガーと言えばこの人を外すわけにはいきません。
少年時代から色々なサウンドでのラバダブなど第一線で歌い続けた「リトル・ジョン」です。
強面が多いレゲエアーティストの中にあって、いつも優しい笑顔で楽しさ満開で歌うリトル・ジョンは、ダンスホールにおける太陽、はたまたオアシスのような欠かせない存在です。
この曲は、そんな明るく元気なリトル・ジョンの歌声が切なく響く「パワーハウス」からのシングル曲。
リディムは大定番「vanity=i’m just a guy」で、アルバム「river to the bank」に収録されています。
2 Half pint – Victory(1987)
レゲエシンガーの歌からは、皆一様に幸福感や開放感が溢れ出ていますが、開放感でトップなのはこの「ハーフ・パイント」で決まりです。
その澄み渡る伸びやかな歌声は、心が雲一つない青空のように澄みきっていきます。
アルバム「victory」に収録されているタイトル曲です。
3 Frankie Paul – Midnight Lover(1985)
超大御所、盲目のダンスホールシンガー、フランキー・ポールです。
あのスティーヴィー・ワンダーからも絶賛されたという、塩辛系のソウルフルな歌声と歌唱力からは大御所感が漂います。
80年代のダンスホールシンガーの代名詞的存在で、数え切れないほどの名曲を残しています。
2017年に腎臓病により51歳で亡くなりました。
この曲は、名曲だらけのアルバム「regal reggae music」からのシングル曲です。
4 Tenor Saw – Rub A Dub Market(1986)
シュガー・マイノットの弟子筋で、この時期人気絶頂だったダンスホールシンガーです。
キーをわざと外して歌う「アウト・オブ・キー」の創始者としても有名です。
また、フー・シュニッケンズの回に取り上げた「ring the alarm」は大定番リディム「stalag」の代表曲としてヒップホップサイドでも名高いアーティストでもあります。
残念ながら人気絶頂の1988年に21歳という若さで亡くなりました。
この曲は名盤「fever」に収録されているシングル曲です。
5 Cocoa Tea – I’m Wanted(1985)
伸びやかでピュアな歌声が永きに渡り愛されているレジェンドシンガー「ココ・ティー」です。
この後2000年以降まで継続的にヒット、名曲をリリースし続けた稀有な存在でもあります。
この曲はアルバム「i lost my sonia」に収録されている1曲です。
今回は80年代中期のダンスホールレゲエシンガーを取り上げました。
この時代のダンスホールは、1年ごとくらいの短いスパンでどんどんサウンドが変化していった時期で、80年代も半ば以降になると一気にコンピューターライズ、デジタル化が進み、80年代後半になると完全にデジタルな打ち込み系が主流になります。
本当に目まぐるしい変化です。
次回はそんな80年代後期に活躍したダンスホールレゲエシンガーを取り上げます。