定番リディム③〈Far East〉12選

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リディムレゲエ

〈連想第127回〉

ダンスホールレゲエの定番リディムを連続して取り上げています。

今回は、前回取り上げた「リアル・ロック」と同様のレジェンドレーベル「スタジオ・ワン」通称「スタワン」から1973年にリリースされた、サックス奏者「ローランド・アルフォンソ」の「jah shakey」がオリジナルの「ファー・イースト」リディムです。

「ファー・イースト」リディムのことを「ジャー・シャーキー」リディムと呼ぶこともあります。

オリジナルは、後年定番となるスローなテンポとは違い、かなり速いテンポとなっていて、レゲエの前身であるロックステディの名残りを感じるような曲となっています。

演奏は「サウンド・ディメンション」、プロデュースはスタワンの設立者「コクソン・ドット」です。

レゲエという音楽は、天にも昇るような幸福感や心地良さ、その中に含まれる悲しさや儚さ、そのような感覚を複合的に持ち合わせている音楽だなと聴くたびに思うのですが、ファー・イーストはその代表格の一つです。

このリディムもベースラインが特徴的で、小節前半の低い同じ音階の連続細切れベース8回から、小節後半に音階が上がり2倍の長さの連続ベース4回、これを繰り返します。

そんな「ファー・イースト」リディムの曲を12選します。

1 Barry Brown – Far East(1978)

オリジナルは「ローランド・アルフォンソ」ですが、後年定番と呼ばれることになる元となったのはこの「バリー・ブラウン」版です。

スタワンからリリースされたものと、もう一つのレジェンドレーベル「チャンネル・ワン」からリリースされたものがあります。

スタワンからリリースされたバージョンは「ローランド・アルフォンソ」のオケをそのまま使用したもので、プロデュースももちろん「コクソン・ドット」です。

チャンネル・ワンからリリースされたものは、スタワン版と並んでレゲエクラシックの一つですが、後年定番リディム化していく元となるのはこのチャンネル・ワンのスローバージョンの方になります。

いずれも「バリー・ブラウン」の代表曲でもあり、コンシャスなリリックが特徴的な曲ですが、ジャマイカで言う「ファー・イースト」とは日本のことではなく、彼らが崇める皇帝「セラシアイ」の国「エチオピア」のことを指します。

2 Willie Williams – Master Plan(1982),No War(1995)

バリー・ブラウンから遅れること4年、リアル・ロックの回でも取り上げた「ウィリー・ウィリアムス」の代表アルバム「アルマゲドン・タイム」に収録された曲です。

バリー・ブラウンと同じオケで、レーベルもスタワン、プロデュースもコクソン・ドットと全く同じです。

何とも趣のある古き良きジャマイカという感じの牧歌的な印象の曲です。

1995年には「ロッカーズ・インターナショナル」からセルフカバーしたものもリリースしています。

こちらのプロデュースは、ダブなどで数々の名作を遺したレジェンド、ピアニカ奏者でレーベルの主催者でもある「オーガスタス・パブロ」です。

3 Barrington Levy – Reggae Music,Don’t Fuss Nor Fight(1979)

前回「リアル・ロック」の回でも取り上げたカナリアボイス「バーリントン・リーヴィー」です。

何とも心地良い、天と呼応しているかのような喜びに満ち溢れたドリーミーな曲です。

プロデュースは前回も取り上げたレジェンド、「ボルケーノ」レーベル創立者「ヘンリー・ジュンジョ・ロウズ」です。

リンクの動画後半はダブバージョンで、こちらもとてもドリーミーでトリッピーで最高です。

ちなみにこの曲、「raggae music」とは違う「don’t fuss nor fight」という曲名でもリリースされていますが、レーベルやプロデューサー含め全く同じ曲です。

4 Sugar Minott – Jah Jah Children,Oppressor Oppression(1979)

レゲエ、ダンスホールの歴史を築き上げてきた最重要レジェンドの一人「シュガー・マイノット」です。

シュガー・マイノットは、スタワン、ルーツ、ダブ、ダンスホール、ラバーズロックと、レゲエの歴史を紡いできた様々なスタイルの創生に携わってきたアーティストで、特に「スタワンなどの昔のオケを使用して新たな曲をリリースし、ダンスホールレゲエのリディムとして定着させた」ことについての第一人者であり、ダンスホールレゲエの歩みの中で欠かすことができない存在です。

ファー・イーストを使用した「jah jah children」は、シュガー・マイノットの1stアルバムに収録しきれなかった曲を集めた2ndアルバム「showcase」に収録されている曲で、リリースは1979年ですが、収録は1977年なので、実はバリー・ブラウンよりも先だったということになります。

レーベルはもちろんスタワン。プロデュースはコクソン・ドットです。

これと並んで別バージョンでリリースされたファー・イーストが「Oppressor Oppression」です。

こちらは1979年に「チャンネル・ワン」からリリースされた3rdアルバム「black roots」に収録されている曲で、プロデュースはシュガー・マイノット自身です。

他にも後年リリースされたファー・イーストもありますが、キリがなくなるので全ては取り上げません。

しかしどのバージョンも、シュガー・マイノットのシュガー=甘い歌声と歌唱力、メロディー、ハーモニーなどのセンスが光る素晴らしいものばかりです。

5 Jah Batta – No Meet(1983)

「シュガー・マイノット」と関わりの深いアーティストの一人「ジャー・バッタ」です。

ニューヨークのダブレーベル「ワッキーズ」からリリースされたジャー・バッタ唯一のアルバム「augument」に収録されています。

プロデュースは、ワッキーズの主催者「ブルワッキー」こと「ロイド・バーンズ」と「シュガー・マイノット」です。

アルバム全般をこの二人がプロデュースしていて、シュガー・マイノットはコーラスでも参加するなど全般的にバックアップしています。

ニューヨークのアンダーグラウンド感とレゲエの怪しさがブレンドされた何とも異国情緒溢れる独特の世界観が最高にかっこいいファー・イーストとなっています。

6 Shinehead – Mind Blowing Decision(1999)

ディージェイとシンガーの二刀流アーティスト「シャインヘッド」です。

歌うようにトースティングする「シングジェイ」ではなく、ラガマフィンスタイルとシンガースタイルを明確に分けて使い分けています。

同時代ではフィーメールディージェイ「パトラ」なども同様です。

「スティング」の「englishman in new york」のカバー「jamaican in new york」のヒットで有名なシャインヘッドですが、この曲もカバー曲です。

ドイツで結成されたソウル・ファンクバンド「ヒートウェイブ」の名曲「mind blowing decision」のカバーで、この他に「ビッグ・ユース」や「シュガー・マイノット」もカバーしています。

ちなみに「mind〜」はヒップホップでも「ナイス・アンド・スムース」や「ピート・ロック」など数多くのアーティストにメロディーやフレーズを使用されている定番ネタでもあります。

シャインヘッドのこの曲は6thアルバム「praises」に収録されています。

柔らかな陽射しが差し込むかのような何とも優しい印象のファー・イーストです。

7 Half Pint – Go Back Home(1984)

雲一つない青空のように澄み渡る歌声が最高に素晴らしすぎるシンガー「ハーフ・パイント」です。

「ブラック・スコーピオ」レーベルの主催者「モーリス・ジョンソン」プロデュースによるオケとハーフ・パイントの歌声との相性が抜群で、開放感がものすごく鳥肌が立つほどです。

こういう曲を聴いたとき、「レゲエってほんとに素晴らしい!!」と心の中で叫びたくなります。

後年にはオケがファー・イーストではない別バージョンもリリースされています。

8 Little John – No Stone(1993)

80年代のラバダブを牽引したダンスホールシンガーを代表する存在「リトル・ジョン」です。

強面でいかついアーティストが多いラバダブの現場で、いつもにこやかに楽しげに明るく歌う「リトル・ジョン」ですが、この曲のように哀愁漂う胸に迫るタイプの名曲もたくさんあります。

1993年にリリースされたアルバムのタイトルにもなっています。

プロデュースは、大御所「サー・トミー」です。

9 Cocoa Tea – Tune In(1986)

ファー・イーストの代表曲と言っても過言ではないレゲエクラシック、「ココ・ティー」の「tune in」です。

「ココ・ティー」自身の代表曲の一つでもあるこの曲自体が定番曲と言えるでしょう。

80s〜90sにかけて1時代を築いたダンスホールレゲエを象徴するレジェンドレーベル「ジャミーズ」からリリースされたこのファー・イースト・リディムこそが、最も広く浸透している代表的なバージョンかと思います。

プロデュースは、ジャミーズの主催者「キング・ジャミー=プリンス・ジャミー」こと「ロイド・ジェームス」です。

デジタル音革命を起こした「スレン・テン」リディムの産みの親であるキング・ジャミーにとっても代表的なオケの1つです。

ココ・ティーの伸びやかで甘い歌声が素晴らしく、「やっぱりレゲエって最高!!!」と心の中で叫びたくなります。

10 Super Cat – Crazy Love(1994)

80年代半ばから90年代のダンスホールのスーパースター「スーパー・キャット」です。

ゴッドファーザーのテーマから始まるこの曲も、数あるヒット曲の中の1つで、とてもごきげんで楽しくなる曲です。

アメリカに進出するなどスーパー・キャット(キャット=インド系)のキャリアのピークとも言える時期の作品で、彼自身のレーベル「ワイルド・アパッチ」から、彼自身の本名「ウィリアム・マラグ」のプロデュースでリリースされた曲です。

11 Buju Banton – Murderer(1993)

この曲を選ばないとレゲエファンから怒られそうです。

90年代のダンスホールを代表するスターの一人「ブジュ・バンタン」です。

「パン・ヘッド」や「ガーネット・シルク」ら盟友たちが相次ぎ銃弾に倒れたことなどがきっかけとなり、ブジュ・バンタンがラスタ化する直前にリリースされたシングルで、4thアルバム「Til Shiloh」に収録されています。

この曲はなんと日本ツアー中に高松市で作詞されたもので、色々な出来事が重なった時期、ブジュ・バンタンにとっても節目となった曲と言えます。

それまでのノリノリでイケイケだったスタイルから、コンシャスで真面目なスタイルへと変わり、大御所への道を歩み始める第一歩となった曲ではないでしょうか。

プロデュースは、「ジャミーズ」からバトンを受けたがごとく90年代のダンスホールの一時代を築いたレジェンドレーベル「ペントハウス」の主催者「ドノバン・ジャーメイン」です。

12 Bounty Killer – Dem Nuh Have Nuh Heart(1994)

「スーパー・キャット」や「カティ・ランクス」、「シャバ・ランクス」や「ブジュ・バンタン」らレジェンドたちの次の世代を牽引したアーティストの一人「バウンティ・キラー」です。

ダンスホールシーンは90年代半ばから急速に世代交代が進んだ印象ですが、バウンティ・キラーはその中心人物です。

トースティングのスタイルもそれまでのメインだったスタイルとは一線を画しています。

プロデュースは、「キング・ジャミー」こと「ロイド・ジェームス」です。

今回はスタワンがオリジナルの大定番リディム「ファー・イースト」を取り上げました。

2022年には「ファット・アイズ・クルー」の「ブルビー・ヨーク」プロデュースによる、↑1の「バリー・ブラウン」の「チャンネル・ワン」版がベースとなったのファー・イーストがリリースされるなど、1973年から半世紀を経てなお現役です。

これをクラシック=古典と呼ぶのでしょう。

次回も引き続きスタワン発の定番リディム「パーティ・タイム」を取り上げます。