フレデリック・ショパン⑬〈子守歌・舟歌・チェロソナタ〉

クラシック
クラシックショパンピアノ

〈連想第88回〉

これまで、ショパンの影響を強く受けていたドビュッシーの、ショパンが作曲した曲と同タイトルのものを取り上げてきました。

エチュード」「プレリュード」「バラード」「マズルカ」「ノクターン」と取り上げてきましたが、今回は最終回として「子守歌」「舟歌」「チェロソナタ」を取り上げようと思います。

いずれもショパン晩年の傑作で、ショパンの天才的なセンス、独創性、緻密さが遺憾なく表現された曲となっています。

今回この3曲を取り上げて、ドビュッシー〈ショパン関連曲〉の大元のショパンの曲シリーズの最終回としたいと思います。

1 子守歌 変ニ長調 作品57(1844)

とても美しく、天上にいるかのような幻想的で儚さ漂うショパンの大傑作です。

曲の構成としても画期的で、左手の伴奏は最後に少し変わるだけで、転調も一度もせずひたすら同じフレーズを繰り返します。

それに対して右手のメロディーはどんどんとかたちを変えて展開していきます。

この特徴からこの曲は当初ショパン自身により「変奏曲」と名付けられていました。

ショパンの曲は全般的に、ショパンが広く推し進めた「テンポ・ルバート」という奏法が非常に重要ですが、この曲ではそれが顕著でわかりやすく感じることが出来ます。

「テンポ・ルバート」とは、テンポを譜面どおりではなく自由に揺らしながら変化をつけて演奏することですが、ここで重要なのは、ショパンの定義する「テンポ・ルバート」とは、「左手の伴奏はリズムを崩さず譜面どおり一定のテンポを保ち、その上で右手のメロディーのテンポは自由に揺れ動く」というものでした。

このセンス、感覚って本当に天才だなって思います。

なぜならこの感覚は、現代のポピュラー音楽、とりわけ打ち込み系のブラックミュージックなどにも通じる、普遍的に息づいている感覚だからです。

このことをリストは弟子に、「見てごらん。ショパンの言うテンポ・ルバートとは、この風にそよぐ木とその枝葉のようなものだ。木の幹は決して動かず、その上で枝葉は自由に風にそよいでいる。」と語りました。

このたとえがショパンにとって的確なものだったかどうかは定かではありませんが、イメージとしてはわかりやすいと思います。

この「一定のリズムはブレることなくその上で自由にメロディーは揺れ動く」、これはまさに後年のジャズでもあり(とは言えジャズは結構テンポブレますが…)、更にその後の打ち込み系音楽であるヒップホップやレゲエに通じる感覚そのものです。

リズムは一定でなければいけないのです。

この感覚を明確に意図的に全面的に打ち出したショパンはやはり天才的なセンス、感覚の持ち主であったと思います。

ショパンはこのテンポ・ルバートを自在に操って演奏したそうですが、その奏法は、「一定のリズムに遅れてメロディーがあと追いする」というものが多かったようです。「タメ」とも言えるかもしれません。

これにより、とても軽やかでエレガントな印象となりました。

この「遅れ奏法」を最も素晴らしく表現しているピアノストが、フランスの「サンソン・フランソワ」ではないかと思います。

フランソワはルバートだけでなく、パッセージやアルペジオなどにおける軽やかさや気品溢れる優雅さについても天下一品ですが、全ての演奏においてこの「遅れ」が顕著です。

この「遅れ」は、ショパン以外、クラシックピアノ以外でも、ジャズピアニスト「エロール・ガーナー」の「ビハインド・ザ・ビーツ」奏法や「セロニアス・モンク」の物凄いスウィング感、ヒップホップの「DJプレミア」のプロデュース曲におけるツンのめり感など、様々なところで見受けられます。

これらのブラックミュージックのアーティスト達がショパンの影響を受けたわけではないと思いますが、「遅れ」の効用については意識的であったと思われます。

このことは「第3回:エロール・ガーナー」の回でも語りました。

こんな現代的なセンスを持ち合わせていたクラシック作曲家はショパン以外にはいなかったのではないでしょうか(ショパンの系譜に入るサティも別の意味で現代的感覚の持ち主であったとは思います)。

そして、そんなショパンの「子守歌」ですが、後年ドビュッシーなどの影響を受けたジャズピアニスト「ビル・エヴァンス」の「peace piece」という曲がこの「子守歌」にとても似ていて面白いです。

左手の伴奏が最初から最後までずっと変わらずひたすら繰り返すところ、そしてその伴奏も似ているところ、そして印象派的な響きでスピリチュアルな雰囲気が漂うところ、など酷似しています。

ビル・エヴァンスがショパンを意識したかどうか定かではありませんが、何かしらのインスピレーションを受けたのかもしれない、そんな思いを馳せながら聴くととても面白いです。

こちらについては「第5回:ビル・エヴァンス」の回でも語りました。

演奏は、その時にも取り上げた「辻井伸行」さんの清らかで神々しい、天上にいるかのような演奏です。

「ビル・エヴァンス」の「peace piece」もあわせてリンクします。

2 舟唄 嬰ヘ長調 作品60(1846)

緻密に構成され、印象派的な淡い響きも含む美しい作品で、演奏される機会も多いショパンの傑作の一つです。

「舟歌」とは、ヴェネツィアのゴンドラ乗りの歌を指すもので、19世紀に流行した題材の一つでした。

曲調は、明るく軽快な中に憂いや物悲しさ、ノスタルジーなどを感じるもので、イタリアの歌曲全般に通じる性質を持つものでした。

ショパンは若い頃からイタリアの声楽からとりわけインスピレーションを受けており、美しい旋律やテンポルバートなども、イタリアの声楽からの影響が大きいようです。

ショパンは自身の曲、例えばノクターンなどメロディーが際立つ作品などは特に、声楽を意識して作曲し、歌い手の息づかいまでをも意識して演奏するように弟子たちに指示しています。

それだけショパンにとってイタリアの声楽は、身近で大切なものだったようです。

また、この「舟歌」の冒頭は、印象派の幕開けとも揶揄されるように、ドビュッシー初期の小品を聴いているかのような淡く映像的な響きとなっています。

その後は、ゴンドラ上での心情をストーリー的に表現したものと言われているように、幸福だった日々の美しい響きから、それが過ぎ去った物悲しい響きまで、様々な思いが創意工夫が凝らされた構成により表現されていきます。

この時期のショパンは、10年間共にした伴侶であったジョルジュ・サンドと別れ、結核の悪化により体調不良が慢性化・深刻化してきた時期でもあり、創作活動の最終局面とも言える段階にありました。

そんな中で、幸福だった過去へのノスタルジックな心情も、この曲には含まれていると言われています。

ショパンにって幸福な過去とはいつのことだったのでしょう。どうもサンドとの日々ではなかったようです。婚約破棄となってしまったマリアとの記憶か、初恋の相手コンスタンチアの記憶か、それともそれ以前の幼かった頃の記憶か…

演奏は、1975年ショパンコンクール1位だった、ポーランドの「クリスティアン・ツィメルマン」です。

3 チェロソナタ ト短調 作品65(1846)

ショパンの作品の中で数少ない「ピアノ独奏曲ではない曲」です。

ショパンは20歳前後の頃に、2つのピアノ協奏曲をはじめ、ピアノ独奏曲ではない曲をいくつか書いているのと、生前は出版されなかった歌曲を多数書いたりしていますが、それ以外はほぼ全てピアノ独奏曲ですので、「チェロソナタ」というのは本当に珍しいです。

しかもこの曲は、ショパンが生前出版した最後の曲でもあるのです。

なぜ「チェロソナタ」だったのか。

そもそもショパンはチェロという楽器がとても好きでした。

それに加え、長年の親友だった「オーギュスト・フランショーム」はチェリストで、この曲は彼と共演することを念頭に作曲され、彼に献呈されたという経緯もありました。

そして実際彼とショパン自身がこの曲を初演するのですが、この演奏がショパン最後の公開演奏ともなったのでした。

ちなみにマズルカの回でも書きましたが、このフランショームは、ショパンの絶筆となった「マズルカ作品68-4」のスケッチを書き起こした人物でもあります。

そんなショパンの公式に出版された最後の曲ですが、内容は非常に考え抜かれ、細部まで作り込まれたものとなっており、芸術性の高い傑作となっています。

この曲が作曲された1846年という年は、ショパンの創作活動の実質最後の年で、この年以降は、有名な3つのワルツ作品64とマズルカを2曲ばかり作曲したのみでした。

この時期以降ショパンは健康状態の悪化が著しく、常に咳込み、支えがないと歩くのもやっとなほどフラフラで、体の衰弱に引きずられるようにうつ状態になっていたと言われています。

妹と父親を結核で失っていたショパン自身もまた、結核によってまもなく命を失うことをこの時期は既に自覚していたようです。

ただ、ジョルジュ・サンドとのマヨルカ島療養旅行中に体調の悪化が顕著となり3人の医者にかかった際に、全員から「先は永くない」という趣旨の発言がなされ、その中の1人からは「あなたは既に死んでいる」とまで言われたという経緯があったため、この頃から永くは生きられないだろうという覚悟はあっただろうとは思われます。

しかしそんな健康状態とは裏腹に(だからこそ?)、この最晩年には「舟歌」「幻想ポロネーズ」「ノクターン作品62」「ワルツ作品64」「マズルカ67」など傑作が目白押しで、この「チェロソナタ」もその一つです。

4楽章から構成されるこのソナタは、ショパン作品の中では非常に渋い、古典的でいぶし銀な印象の曲であると共に、ピアノとチェロいずれも高難易度であるため演奏機会はとても少ないため、隠れた名曲的な作品となっています。

演奏は、ロシア帝国(現ウクライナ)出身の巨匠「スヴャトスラフ・リヒター」のピアノと、旧ソ連出身で巨匠ロストロポーヴィチの助手をしていた経歴を持つ「ナターリヤ・グートマン」のチェロです。

今回は、ドビュッシーが作曲したショパンと同名曲の大元のショパンの作品シリーズ最終回ということで、「子守歌」「舟歌」「チェロソナタ」を取り上げました。

ショパンシリーズが長く続いたので、ショパンは一旦打ち切りにして、ショパンから連想される別の作曲家へいこうと思います。

ショパンはこれまで取り上げてきた曲以外にもまだまだ取り上げていない曲、ジャンルが多数あります。

「ポロネーズ」「スケルツォ」「ピアノソナタ」「即興曲」「ピアノ協奏曲」「歌曲」その他ロンドや変奏曲などのほか、有名な「アンダンテ・スピアナート」など、また別の機会に取り上げていこうと思っています。

さて次回は、ショパンを語る上で絶対に外すことができない存在、ショパンの1歳年下の「フランツ・リスト」を取り上げます。

同じピアノのヴィルトゥオーゾとして、同時代に同じ場所で活躍した存在でしたが、リストのほうが長く生きた分、ショパンと次の時代への架け橋的な曲も残しました。

次回はそんなリストの曲を5選します。